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建築家 アルヴァ・アールト

建築家、デザイナーであるアルヴァ・アールトは1898年2月3日に彼に後年影響を与えた思い出の地、クオルタネに生まれました。家族はアールトが5歳のときにアラヤルヴィに移住し、そこからユヴァスキュラに移住。1916年に高校を卒業するまでそこで暮らしました。アールトはヘルシンキ工科大学を1921年に卒業し、建築家となりました。最初の自分の建築事務所を1923年にユヴァスキュラに設立。翌年に同じく建築家であるアイノ・マルシオと結婚しました。トゥルクで数年働いた後、1933年からアールトはヘルシンキに移り、1936年にはムンッキニエミに家を建てました。1949年に妻、アイノが逝去。後に彼は同僚で建築家のエリッサ・マキニエミと再婚しました。アルヴァ・アールトは1976年5月に78歳の生涯を閉じました。現在彼はヒエタニエミ墓地で眠っています。

アルヴァ・アールトは個人とコミュニティーのバランスを、人間と自然とのつながりを壊すことなく実現し得る建築で表現しようとしていました。自然の価値は、彼の設計において大切なヨーロッパの文化的伝統でした。アールトが設計する際は、ドアの取っ手、照明ランプなどすべてに至って自分でデザインしました。大切なことは、アールトが建物全体を芸術作品として見ていたということです。

アールトは1940年代にアメリカのマサチューセッツ工科大学(MIT)に教授として招かれました。そこでは学生寮を設計しました。彼の他の海外で手掛けた建築は、1959年に建てられたドイツのエッセンオペラハウスや1965年に建てられたイタリアのリオラの教区教会を含め、数々の有名な建築物があります。
セイナヨキに加え、アラヤルヴィはアールトにとって子どもの頃やティーンエイジャー時代の思い出に密接に関係していています。後にアルヴァとアイノ夫妻は夏をここで過ごしました。アラヤルヴィではアールトは既に学生時代に最初の建築として自衛団ビル(現青少年センター)を設計し、アアルトの建築事務所の最後の仕事もまたアラヤルヴィの図書館だったのです。

主に1960年から1968年に建てられ、1987年から1988年に完成したセイナヨキの行政および文化関連センターは、世界的にみてもユニークな建築群であり、通年世界各国から観光客がこの建物群の見学に来ています。アールトセンターはアールトの設計の中心となる6つの建物からなり、その真ん中には花こう岩とサイコロ状の石が敷き詰められたピアッツァ(イタリア語で広場)である市民広場があります。

アールトが1925年に新古典主義の手法で手がけたセイナヨキの自衛団ビルは、アールトの初期の作品で手が加えられることなく保存されている唯一の建物です。アラヤルヴィとセイナヨキは、ユヴァスキュラとロバニエミを含めアールトの設計した主な都市の一つです。


アールトセンターの公式ガイド(日本語)をご要望の方はE-mailまたはお電話(いずれも英語)で予約を承っております。

Etelä-Pohjanmaan matkailu 
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